千葉県北部に広がる農業地帯に、神崎という町がある。昔からお酒やお味噌、醤油などの発酵文化の盛んだった神崎は、平成の市町村合併の波に乗らず、千葉県でいちばん小さな町となった。そして今、酒や大豆、米、豆腐などをつくりながら、人と人のつながりも大事にしていこうという動きが始まっている。
「変な色の酒ができたこともありましたね。天然原料だけを使う方法に切り替えてから、色と味を調整するのが難しくて」そう言いながら寺田は、自分で醸造したいろいろな酒を出して私たちに味見をさせてくれた。透明ですっきりとしていながら、甘みのあるもの、ほんの少し白濁していて、酸味があるもの–。「何百年も前の、機械をまだ使っていなかった時代につくっていた酒は、こういう味がしたはずですよ」と言って、創業300年の蔵のなかへ案内してくれた。
ここは、東京から東に約70kmも離れた小さな町の醸造会社「寺田本家」である。「この建物はとても古いので、自然のなかに存在している酵母がそこらじゅうにいます」。私たちは寺田の後に続いて、蔵のなかを見てまわった。「あそこでお米を蒸す作業をしています」と寺田はぼんやりとした明かりのなかに見える、人間が収まりそうな巨大な甑を指さした。さらに奥に入っていくと、板張りの麹室にたどり着く。ここは醸造所の心臓部、酒づくりの工程が始まる場所である。「酵母にはいろいろな種類がありまして、それぞれ好む空間も違います。今日は、ここにお迎えしている皆さんがお持ちの酵母も少し混ざってくるかもしれないですね」。この心臓部では、蒸米を床にして酵母が育ち、自然発酵のプロセスが始まる。
戦後、寺田本家は日本を電化した近代化の波に乗った。だが、1980年代後半に経営難に陥ったことをきっかけに、昔の酒づくりの工程に戻ることに決めた。「今ではうちのお酒に入れる種麹は全部、自家製のものになっています。それに、うちでは地元で生産された有機米だけを使っています」と寺田は話す。これは、酒醸造会社としては非常にめずらしい試みである。「すっきりした飲み口の透明な液体という日本酒のイメージは1950年代に始まったものに過ぎません」。彼によると、このような標準化によって、過去30年のどこかの時点で日本酒の味は個性を失ってしまったという。
この問題を解決するために、どうすればよいか? 答えは「昔に戻ること」だった。先代から、作業の合理化や機械によるオートメーション化ではなく、自然な工程である「生酛づくり」にこだわった。寺田本家が300年前の創業当時に行っていたはずの工程、つまり現代でもすべてを手で行い、大樽を使い、冬の半ばに作業するという酒づくりを始めたのだ。「徹夜の作業もときどきあるので、身体はきついですよ」 寺田はそう言いながら、自分の背中を軽く叩く。だが、このように手をかけてつくっていることが寺田本家の酒の「強み」であり、魅力になっている。私たちが帰るとき、寺田は「大切なのは新しいものを創ることではなく、よいものをつくることです」と言った。
寺田本家
千葉県香取郡神崎町神崎本宿1964
TEL: 0478-72-2221
www.teradahonke.co.jp
出典:PAPER SKY